藤田伸二引退の理由は?伝説を作った男のレース動画まとめ!

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藤田伸二

先日、藤田伸二騎手が引退することを表明されました。

最終騎乗は、引退表明同日の9月6日の第二回札幌競馬第7競走(3歳以上500万下 芝1200m)のイキオイで10着となり、これが現役最後の騎乗となったもようです。

ここ数年は中央競馬のやり口に対しての不満を、自身の著書にて嘆いていましたが引退に至るとはおもいませんでした。

ファンサービスも良く、また率先してばんえい競馬のイベントにおもむくなど、競馬の今後を考えていた人物なだけに非常に残念です。

今回は、そんな藤田伸二騎手の記録をまとめておこうと思い、記事を書く事にしました。

藤田伸二ってどんな人

藤田[小川] 伸二 (ふじた[おがわ] しんじ)

(登録名は藤田だが、改姓して小川という苗字になっている。後述に詳細記載)

1972年2月27日生まれ(43歳)

身長158cm

体重50.0kg

1991年デビュー

通算成績

1着1917 歴代8位 (G1 17勝)

2着1590

3着1476

4着~10287

勝率12.6%

連対率23.0%

複勝率32.7%

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来歴

北海道新冠町にあるメイタイ牧場(91年宝塚念3着のタイイーグル等の生産牧場)で生まれる。

幼少期は貧乏で、父と母の離婚で『平村伸二』から『藤吉信二』なり、母の再婚で『藤田伸二』になるという複雑な生い立ち

また騎手デビュー後に稼いだお金を、親が勝手に使い込んだことに激怒し、藤田姓を名乗りたくなくなった事から、奥さんの旧姓である小川に改姓されたらしいです。

ただ、急に名前を変えるのは関係者ファンの混乱を招くことになるという理由で、ジョッキーとしては藤田姓をつかっているみたいです。

本当の父親とは子供の頃に別れたきりあっていないらしい。

競馬学校時代は無期停学から、退学寸前まで追い込まれるも、荻野忠二教官に助けれて、道を踏み外さずに済んだ模様。

1991年に騎手免許を取得してデビュー。

デビュー年度から騎手としての才覚が発揮され、デビュー初年は39勝で最多勝利新人騎手となる。

以後も勝ち星を伸ばし続けて2002年には年間100勝を達成。

デビューしてからほぼ毎年フェアプレー賞を受賞しており、誰よりも安全に気を配りながら騎乗していたのがうかがえる。

ただし、その誇りからか、他の騎手に対して騎乗の安全性について苦言を呈する事もあった。

2013年に自身が執筆した『騎手の一分』にて今の競馬サークルの批判を大々的に公開し、メディアを騒がせた。

また、その頃から引退は近いというのはファンの間でも薄々感じられていた。

 

藤田伸二騎乗のG1勝利馬の動画

 

トランセンド

トランセンド 代表勝ち鞍 ジャパンカップD2勝 フェブラリーS 他etc…

2011年ジャパンカップダート

2011年マイルチャンピオンシップ南部杯(東京競馬開催)

2011年ドバイワールドカップ 二着

2011年 フェブラリーステークス

2010年 ジャパンカップダート

ヒルノダムール

ヒルノダムール 代表勝ち鞍 天賞春 

ローレル

ローレルゲレイロ 代表勝ち鞍 スプリンターズステークス 高松宮記念

2009年 スプリンターズステークス

2009年 高松宮記念

エイジアンウィンズ

エイジアンウインズ 代表勝ち鞍 ヴィクトリアマイル

アサクサデンエン

アサクサデンエン 代表勝ち鞍 安田記念

ダンツフレーム

ダンツフレーム 代表勝ち鞍 宝塚記念

ショウナンカンプ

ショウナンカンプ 代表勝ち鞍 高松宮記念

アドマイヤドン

アドマイヤドン 代表勝ち鞍 朝日杯フューチュリティS

シルクプリマドンナ

シルクプリマドンナ 代表勝ち鞍 優駿牝馬

マサラッキ

マサラッキ 代表勝ち鞍 高松宮記念

シルクジャスティス

シルクジャスティス代表勝ち鞍 有馬記念

1997年 有馬記念

フサイチコンコルド

フサイチコンコルド 代表勝ち鞍 日本ダービー

タケノベルベット

タケノベルベット 代表勝ち鞍 エリザベス女王杯

1992年エリザベス女王杯

 

高松宮記念を3勝もしていたんですね!

ダービーも勝っていたし、ジョッキーとしてはほんとに超一流だったのにもったいないです…

騎手引退の理由は?

騎手の一分の中で、現在の騎手の騎乗依頼が第三者に頼むエージェント制になっている事に嫌気がさしていると書かれてました。

また、そのため誰がどのエージェントに頼んだかによって、ある程度その年のリーディングがわかってしまい、それが競馬を離れたくなる原因に拍車をかけたように思います。

時代の流れに乗らず、昔ながらの関係者との人間関係を大切にした考えかたでしたが、結局のところそれは周りに受け入れてもらえなかったといった感じですね。

しかし、ネットで書籍の評価を見ていると、ファンの人たちはその考えに賛同してる方もおおかったように思います。

騎手の一分であれだけ競馬サークルを批判していたので、今後は競馬関係からはなれてしまいそうですね…

願わくばまた競馬サークルの内情についいて執筆してほしいものです。

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